色付く風がとどくころ
僕のおじいちゃんは有名な俳優だった。
日本じゃ知らない人はいないし、アカデミー賞まで取ってしまったすごい人だ。
けどそんなすごいおじいちゃんもおばあちゃんには頭が上がらないみたいだった。
昔よく遊びに行っていた頃、甘えてはやりすぎておばあちゃんに叱られていたのは今でも忘れられない。
俳優のおじいちゃんと一般人のおばあちゃんがなぜ結婚したのかはよく知らない。
お父さんは大人になったら教えてやると言うし、一度おじいちゃんに聞いてみたけど運命だの一言ではぐらかされてしまった。
おじいちゃんはいつも楽しそうに冗談か本気か分からない話をする。
そんなおじいちゃんが僕は大好きだった。
そんなおじいちゃんも、全ての人に等しく訪れる死から逃れることはできなかった。
体を壊し日本に戻ってからのことは実のところよく知らない。
何度かお見舞いに行ったとき、病気なのにおじいちゃんは今までよりずっとおばあちゃんといられると言って嬉しそうだったのを覚えている。
死ぬのが怖くないのと僕が聞くと、おじいちゃんは若返ってもう一度恋をするのも悪くないと言って笑った。
僕はよく分からなかったけど、近くで聞いていたおばあちゃんは優しい微笑みを浮かべていた。
暖かくなり始めた春の日、おじいちゃんは死んだ。
おじいちゃんが死んだ後、悲しさか寂しさか看病疲れか、全部が原因か分からないけど、おばあちゃんも体を悪くした。
僕はおばあちゃんのお見舞いにもあまり行けなかった。
お父さんとお母さんは家に来ないかと言ったけれど、おばあちゃんはおじいさんのほうが寂しがりやだからそばにいてあげないとと言ってその家を離れなかった。
そうして少しずつおばあちゃんは小さくなっていって。
おばあちゃんが死ぬ時、僕は行けなかったけどおばあちゃん子だったお姉ちゃんがそばにいた。
最期の言葉は、今行きます。待っていてね。だったとお姉ちゃんが泣きながら言っていた。
1年後の春の日、おばあちゃんはおじいちゃんを追いかけていった。
おじいちゃんとおばあちゃんの言葉の意味。
今なら僕も分かるよ。
鳥か蝶か人か。
何かは分からないけど、二人はもう一度出会ってもう一度恋をするのだろう。
きっとそうに違いないから、おじいちゃんとおばあちゃんの死は少しも悲しいものじゃなかったって、僕は思うんだ。
(06.09.03)