側にいさせて、抱きしめて
「…なあ明里。」
ずっとぼーっとソファに座っていた要さんが、私を呼んだ。
「はい、何ですか?」
料理を作る手を休めて、彼のほうへ振り向いた。
そうして次の言葉を待ったけれど、魚の小骨がのどにつっかえているようになんだか少ししかめっ面で言葉を飲み込んだり口を開いたりを繰り返している。
おしゃべりで何でもためらわず話してしまう要さんにしては珍しい。
何か言いづらいような、そんなことがあったのだろうかと心配になる。
思わず私までしかめっ面になりながら、なんだか聞くのが怖くなってきて、エプロンの端をぎゅうと握り締めた。きっと跡がついてしまうだろう。
そうしてドキドキしながら彼ののどから言葉が飛び出してくるのを待った。
「……明里の初めての男って俺だよな?」
たっぷり5分間はにらみ合ったような気がする。そしてようやく出てきた言葉はそれだった。
深刻な言葉を予想していただけにそのギャップに唖然として、それから次に恥ずかしさがぐんっとこみ上げてきた。
「い、今頃突然何なんですか!?」
もう付き合ってからかれこれ4年になるし、付き合い始めのあの様子を見ていれば自ずとその答えは出ようというものだ。
そう思って要さんのほうを見たけれど、未だに眉間にしわを寄せたまま、私のほうをじっと見ていた。
なぜだかよく分からないけど、言わなくてはいけないらしい。
「……そうですよ。要さんの前に、け、経験はありません!」
照れ隠しのために半ばやけくそになりながら言い放つ。
今更そんなことを言わせて何がしたいのだろう。
羞恥プレイなの?
それとも何か疑惑を持つようなものを見つけたりしたのだろうか?
…そんなもの思い当たるふしも無いけど。
向き合っていると急速に熱くなっていく顔を見られそうで、私は要さんの隣に勢いよく沈み込む。
柔らかなソファは勢いを緩めて、私を優しく包んでくれた。
膝に顔を埋めて熱が引くのを待つ。まだまだ時間がかかりそうだ。
要さんはあんなこと聞いてどうするのだろう。
何の意図があるのだろう。
考えるうち、顔を埋めた私の隣、要さんが動く気配がした。
「じゃあさ、俺を最後の男にもしてくんない?」
………意味を、図りかねた。
最後?
最後の男って?
つまりどういうこと?
顔を上げた私の瞳に、今までよりもずっとずっと真剣な表情が映る。
これは、この顔は昔1度だけ見たことがある。
そう、あれは私たちの始まりの時…。
「結婚しよう、明里。」
真っ白に、なった。
頭は空っぽで、何にも考えられなくて、ただ呆然と見つめた。
なのに次に来たのはおなかの底からの何か分からないけど、大きな、とても大きな感情の波で。
胸を、心臓を、心をいっぱいにする。
ああ、本当の気持ちって頭で考えるんじゃなくて、反射みたいにもっと本能的なものなんだ。
そうしていっぱいになったら、涙と一緒に溢れた。
「…私を、要さんの最後の女にしてくれるなら、いいですよ。」
素直にはいってすぐに言えなかった自分がなんだか可愛くないって思った。
だけどそんな可愛くない私を見て、なんだか泣きそうになりながら「もうとっくになってる。」っていうあなたに痛いくらいに抱き締められて、私より少し高いその体温を感じたら。
もうそんなことは、どうでもよくなってしまった。
(06.09.06)