注意:炎樹が明里以外の女性と関係を持ってます。そういうのがダメな方は引き返してください。→Back
違う。顔も肌も髪も声も。
何度抱いても彼女との違いを見せつけられるばかりで、ちっとも満たされやしなかった。
片道切符 七
「えんじゅ。」
「ん?なんだ、理沙か。久しぶりじゃねえか、どうした?」
熱気覚めやらぬ収録後のスタジオに、しばらく会ってなかった理沙がいた。この番組には、出ていなかったはずだった。
「聞いたの、サオリとのこと。」
常とは違う、硬い声だった。久々に親しい人物に会えたことに密かに喜びを感じていた俺の心は、そのセリフを聞いた瞬間に急速に冷めていった。
…何だよ、お前もか。
「は。だから何だよ。お前も何か文句あるのか?…一般人じゃねーんだから、いいだろ、もう。」
「サオリ、男をつかってのし上がってるって、業界じゃ有名だよ。有名男優との噂なんて、彼女にとったら名前を広める、いいネタなんだよ!?」
「知ってるよ。別にいいじゃねーか、やる気あってさ。それに抱かれたい男と抱きたい女NO1同士の組み合わせなんて、おもしろいだろ?」
「理沙は全然面白くないよ!」
叫んだ理沙の声も、騒々しいスタジオの中では、誰の関心も引いていないようだった。
「ねえ、どうしてダメなの?どうして理沙じゃダメだったの?理沙、炎樹になら利用されたって構わなかったのに!」
必死に腕にすがる彼女の手を解いた。
愛らしい理沙。一時は愛情に近い感情を抱いたこともあったかもしれない。
けど、なぜダメかなんて、そんなの簡単だ。もう、大事な人を失いたくないんだよ、これ以上。
「…じゃあな、理沙。」
「えんじゅ!ねえ、えんじゅってば!」
追いかけてくる大切な友人の声をすり抜けて、スタジオを後にした。
「…ねえ。」
「なんだよ。」
情事の後の気だるさが全身を包んでいる。うとうととまどろみながら、返事をした。
「もう一回しよっか?」
「…しねえ。」
腕を掴んで擦り寄ってくるのを、背を向けて拒んだ。その瞬間、ふわりと女の香水が香る。甘ったるい匂いが、ひどくこの女には似合っていた。
「もうっ。ほんと淡白なんだから。」
背後でとさりと女が体を投げ出す音が聞こえた。
「そんなんじゃ振られちゃうわよ?」
「…どうせ俺とお前は体だけの関係だろうが。それに……」
サオリとはすでに1月以上関係を持っていた。けれどお互いに恋愛感情などありはしない。割り切った付き合いだった。
3週間前の理沙の言葉を思い出す。利用されてたって別に構わない、俺だってこいつを利用してんだし。ギブアンドテイク、だろ。
サオリは清純派で知られる売れっ子の女優だ。…まあ実態はこれなんだけどな。綺麗、と万人が認める容姿。しかも脱いだら結構すごいというオマケつき。大抵の男はこういう女が好きなんだろう。もちろん俺だって嫌いじゃない。出会う前なら、あいつと出会う前なら、俺からアプローチしたかもしれない。
…けれどそれはすべて「もしも」の話に過ぎなかった。
「……それに、なあに?」
目を閉じた。
「…それに、もう恋はしない。できない。」
「…ふぅん。なるほどね。」
しばしの沈黙の後、呟いた。
「あの子でしょ?ホスト体験記の時の。」
知っていたのか。まあそうだろうな。業界じゃ有名な話だ。
「酷なようだけど、諦めなさいな。……どうせ、芸能人と一般人なんてもともと無理な話なのよ。
その彼女だって、芸能人だから近づいてきたのかもしれないし。」
その言葉を聞いて目蓋の裏が一瞬赤く染まった気がした。
「明里はそんな女じゃねえよ!!」
びくり、と一瞬女の体が震えた。
突然激昂した俺の行動についていけなかったらしい。
「な、何よいきなり。」
唖然とするサオリの様子に、苦いものがこみ上げてくる。
「……くそっ。」
再びばさりと音を立ててシーツを被りなおした。仰向けに寝転がると、ホテル独特の薄暗い照明が目に写った。
「…あなたはそう信じたいのかもしれないけど、所詮現実はそんなものよ。
きっと動いてるわよ、事務所は。だって一度も無いんでしょう?連絡。
あなたがいくら想ってたって、彼女はそれほどでもなかったんだわ。」
ぎり、と唇を噛んだ。図星だった。
俺が悪い。それは全て真実だ。けれど、一度も連絡がないのも、事実だった。
分かっていた。俺のほうが愛していることなんて。
でも、こみ上げてくる感情をコントロールできるほど、俺は大人じゃなかった。
「…んだよ。お前に何が分かるっていうんだよ。
ふざけるなよ。俺が愛してようと、あいつが俺のこと愛してなかろうと、お前には関係ねぇだろうが!
お前みたいな女と一緒にするんじゃねえよ!!」
こんなの、完全な八つ当たりだ。ひどい言葉だった。
怒りに任せて組み敷いた柔らかな体は、やはり明里とは違っていて、また、胸がうずいた。
どこまでもいつまでも、忘れられない。離れられない。こうして他の女を前にしていても、俺の心を占めるのはたった一人なのだと実感するたびに、自分の思いの深さを認識する。
そう考えながら黙り込む俺を呆然とした表情で見つめて、…けれど彼女も、そこまで言われて黙っているはずがなかった。
「……な、んなのよ、なによ!
私だって最初からこうだったんじゃないわよ!なりたくてこうなったんじゃない!!」
俺が冷たくしても、乱暴に抱いても、決して文句など言わなかった彼女が、怒りをあらわにしていた。
……そして、大粒の涙をその瞳から零していた。
「…彼とは、仕事を始めてすぐの頃に知り合ったの。」
落ち着いた彼女は、枕元に置いてあった携帯のバッテリーカバーをはずす。
その裏に張られた、もうボロボロのプリクラには、幸せそうに笑う彼女と、人のよさそうな知らない男が写っていた。
「とてもとても好きだった。それこそ、仕事なんて彼のためならどうでもいいって思うくらい。
……でも、彼はそうじゃなかったの。」
また、赤く腫れた瞳からぼろり、と涙が零れ落ちた。
「事務所から手切れ金を受け取って、彼は姿を消したわ。
彼が別れに対して少しでも抵抗してくれたのか、それとも最初からそれが目的だったのか、もう分からないけれど。」
そう言って再び携帯に、カバーを戻した。
「いつまでもこんなの持ってるなんて、未練がましいって思うでしょ?
けど、もう彼は私のことなんて忘れて、きっと奥さんをもらって幸せになってるんだわって思うたびに、憎らしいの。
だから私はなんとしてもこの業界でのし上がって、すごい女優になって、別れたことを後悔させてやるわ。
…これは私の復讐の証なの。」
そう言う彼女の瞳はけれど愛しさに揺れていて。まだ彼女が彼のことを愛しているんだということが、分かった。
「同類、だったわけか。まあ、俺の場合は俺が悪かったんだけどな。」
ふふ、と彼女が笑ったことが息遣いで分かった。
こつん、と剥き出しの肩に、彼女の柔らかい髪を感じた。
「思う存分、利用してよ。私も思いっきり、利用させてもらうから。
…もう、ただ想うばかりの愛なんて、いらないの。」
なあ、どうして駄目だったんだろうな。
何が?
俺ら、お互いを愛せたらよかったのに。
そうかもね。でも人生、そううまくいかないようにできているんだわ。
それって最悪だな。
ふふ。でもきっとそのうち運命の人が現れるのよ。…私の相手があいつだったなんて、死んでも思ってやらないけど。
はは、違いねぇな。
二人、そう言って笑ったけれど。
もう俺は出会ってしまったんだ。
たった一人に。
例え道がもう交わらなくても、あいつだけが、俺の一つきりの運命なんだ。